2014年 10月 01日 ( 1 )

中津城


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天正6(1588)年、黒田孝高(官兵衛、中津ではもっぱら「如水」といわれおり)が築城、
元和7(1621)年に細川忠興が完成させた。
江戸時代の大半は奥平氏が居城にしていた。
黒田時代は、慶長5(1600)年、筑前への転封で終わり、13年間に過ぎない。

冬至の日には、朝日は宇佐神宮の方角から上り、
夕日は英彦山の方角に落ちる場所に位置し、中津では「扇城」という別称あり。
今治城、高松城と並び日本の三大水城の一つ。

司馬遼太郎は自著「街道をゆく34」の「中津・宇佐のみち」で、
中津城の天守閣を見て「この町を尊敬しているだけに、かすかながら興ざめた」と記している。
入城券に「昭和39年、奥平昌邁の孫奥平宗家第17代当主昌信が中心となり、
東京工業大学藤岡通夫博士設計、藤田組施工で再建した」とある。

黒田時代に天守はなかった、という説が多い。
貝原益軒は元禄7(1694)年に豊前・豊後(今の大分県)を旅して、
「豊国紀行」という旅行記に「(中津)城は、町の北、海辺に在て天守なし」と書いている。

愚生は、昭和28~昭和31年、現二の丸公園にあった中津北高に通ったが、
目の前に見る城には確かに天守閣はなかった。

中津は愚生の故郷(ただし、生まれは樺太)であるが、
半世紀以上暮らす当市の広島城は秀吉の命で官兵衛が縄張りしたものであり、
当城も海城といえよう。

(注)色褪せた写真は2011年4月5日撮ったもの。

@大分・中津

by getteng | 2014-10-01 00:00 | Comments(22)