広島城主・福島正則の改易

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元和5(1619)年、幕府に無断で城の一部を修復したとして、
広島城主福島正則は江戸年寄本多上野介正純により改易させられる。
実は、これは言いがかりで、太田川氾濫による壊れた石垣の修理を、
正則はきちんと願い出ていたのだが、本多はこれが握りつぶしていたのだ。
その現場が写真の辺りだといわれおり。


by getteng | 2018-10-22 12:00 | 広島市中区 | Comments(6)
Commented by Imaipo at 2018-10-22 13:59 x
おはようございます
言いがかりをつけてですね、
力をそぎ落としていく
福島正則あれだけ働いていたのに。
Commented by getteng at 2018-10-22 14:17
imaipoさん
彼のお墓は長野県にあるそうですが、当地の不動院の墓所の端っこにも小さなみすぼらしいものがあります。
誰も、元広島城主の墓などと気付きもしないような場所に・・・。
要するに、今でもあるように、本部の意地悪い上役が稟議書を握りつぶして、これがいいことに左遷したということですね。
Commented by minoji at 2018-10-22 18:05 x
権力闘争に敗れたということでしょうか?
秀吉の子飼いは邪魔だったのでしょうね。
ケチをつける格好の口実ですね。
Commented by kagurakko at 2018-10-22 19:03 x
こんばんは、gettengさん。
福島正則は不運な藩主ですね。
西国街道を整備したり、水害対策もしかり、功績は大きいと思いますが・・・
甲斐の小さな国に移封されたり。
不動院の福島正則の墓も小さなものです。
Commented by getteng at 2018-10-22 20:40
minojiさん
福島正則は秀吉子の飼いで、徳川方東軍についたご褒美で広島城主になったといわれております。
しかし、徳川が秀吉子飼いの侍大将に油断するはずがありませんでした。
その後は、250年に及ぶ浅野藩政が続き、明治時代を迎えることになります。
Commented by getteng at 2018-10-22 20:41
kagurakkoさん
その通りです。
不動院のお墓は隅っこに追いやられ、哀れなものですね。
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